平成の終わりに、「オトナ帝国」から「母の偉大さ」を痛感した話

映画クレヨンしんちゃん史上に残る不朽の名作をご存じでしょうか。

 

クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」

 

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クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲

 

 

ご存じない人のために軽くご紹介差し上げると、(以下wiki引用)

 

本作は21世紀初の劇場版クレヨンしんちゃんである。本作では親世代が20世紀の象徴として、子供世代が21世紀の象徴として描かれており、過去と未来の交錯が描き出されている。本作では20世紀、特に昭和30〜40年代の高度成長期を懐古するコンテンツやギミックが多用されている。そのため、本来の(アニメの)『クレヨンしんちゃん』の視聴者層である子どもだけでなく、むしろ子どもの親に向けられた作品であるとも言える。本作のDVDのCMには俳優の阿部寛が起用され、大人の鑑賞にも堪え得る感動作であることを強調した。

「あの形で作るということに関して、『クレヨンしんちゃん』じゃ無くなるという自覚はあったが、それでもいい映画を作りたいという気持ちが勝ってあの形にした。 出来上がったとき初号や試写会で、実際に偉い人や出資者たちは不満そうだった。『こんな不愉快な映画初めて見た』とも言われました。『しんちゃん』ではないということなのでしょう」と原は語っている。

 

もう少し付け加えると、「20世紀の匂い」を手に入れた秘密組織「イエスタデイ・ワンスモア」が、「汚い金」や「燃えないゴミ」ばかりがあふれる21世紀の日本を憂い、まだ人々が「心」を持って生きていた20世紀への逆戻りを企て、オトナたちだけの帝国を建国しようとする。

 

その計画に対し、野原しんのすけ率いるカスカベ防衛隊が真っ向から挑戦状をたたきつける。「未来はオラが守るゾ」というスローガンの下、野原一家の団結心にオトナ帝国民たちは胸を撃たれ、過去ではなく、未来を生きていく希望を見出し、イエスタデイ・ワンスモアの計画はついに失敗に終わる。

 

 

 

ざっくりとはこんな感じのストーリーなんですが、この記事では、昭和を生きた親世代だけでなく、平成を生きてきた我々アラサー民にもモーレツに感動を与えるシーンが随所にちりばめられている、というお話をしたいなと。

 

 

いま、自分は軽度の抑うつ状態にある、と自覚しています。

 

精神科で直に診断されたわけではないので明言できませんが、最近の自分の身の回りで起こることに対する自分の出力というか反応がそれまでとまるで異なっていることからも、きっとそういうことなんだろうと思っています。

 

 

自覚できている症状としては以下のようなものが挙げられます。

 

  1. 自発性の低下:自分ひとりでは何もしようとせず、家事や身の回りのことにも自発性がない。
  2. 意欲低下:頭ではわかっていても行動に移せず、行動に移しても長続きしない。
  3. 無関心:世の中のこと、家族や友人のことなどにも無関心でよく分からない。
  4. 引きこもり:外出意欲の低下。
  5. 思考力の低下:相手の言っていることが構造化できない、会話の瞬発力が低下し、空虚な返事になってしまう。

 

あらゆることに無気力で、土日をほとんどベッドから起き上がれずに終わる日が続いています。

かといって業務上キャッチアップしなければならないことは山積みなので机に向かおうとするのですが、自分が業務の中身をいかにわかっていないのかを自分自身に突きつけるような恐怖が襲ってきて、なかなか手が伸びずにボーっとしているだけの無意味な時間が流れていきます。

 

そして寝るタイミングになると、「ああ、明日はあの部分をクリアにしないといけないな。.....ん?でも待てよ。あれって結局どういう風に他のラインとつながっているんだっけ....? あれ....やばい、なにもわかってない.....。このままじゃまた上司に幻滅される....。ぬああああああああああ(汗汗汗)」

 

となって、猛烈に冷や汗が出てきます。

 

ソファに座ったまま深いため息をすると手先足先が「スゥーッ」と冷えてきたり、業務中に耳鳴りに襲われるシーンが複数回起きたり、上司への進捗共有の場面では急激に全身が熱くなってきて動悸が走り、手汗でびっしょりになります。

 

こんな状態になったことは人生で初めてで、頑張りたくても頑張れずにいる自分にいらだち、それがまた更なる無気力を生み、自己嫌悪のリズムを一向に崩そうとしない状態がしばらく続いています。

 

同期や先輩に悩み相談的な形で胸中を吐露することを何度かしましたが、少し気が楽になりつつも完璧には気が晴れることはなく、またしばらくすると同じような無気力モードに没入していく。。。

 

 

そんな状態でこのGWに突入し、ほんの少しの精神安定のための猶予をいただけたと同時に、母親が東京に遊びに来てくれることになりました。

 

自分はいままであらゆる場面で精神的にも金銭的にも母親に支えられてきましたが、根が恥ずかしがり屋でプライドが高いということもあり、ちゃんとした感謝の気持ちを表現するのが母の日や誕生日のプレゼントくらいで、ちゃんと言葉で思いを伝えたり、感極まって涙を流すとかは一度もしたことがないんですね。

 

それが今回、少し遠回りな形で母親への自分の思いを共有する場面に遭遇することになりました。

 

 

 

 

GW前半の夜、平成の終わりを前に、N〇Kで歴代の紅白歌合戦を振り返る番組が放送されていました。

自分も母もJ-POPや歌謡曲が好きなので、何を言うでもなく自然とその番組に見入っていました。

 

しばらくすると、番組のテーマが「小林幸子」vs「美川憲一」の歴代ド派手衣装・演出特集となり、あらゆる突っ込みどころに二人でゲラゲラ笑っていました。

 

そこでふと、母親と小林幸子の歌の話になり、母が私に「小林幸子で好きな曲ある?」と聞いてきました。

 

僕は「待ってました!」と言わんばかりの勢いで、

 

クレヨンしんちゃんのエンディング」

 

と即答しました。

 

実はオトナ帝国のエンディングを小林幸子が歌っているんですね。

 

 

youtu.be

 「元気でいてね」作詞:白峰美津子 作曲:岩崎元是

 

小林幸子の聖母のような優しい歌声に乗せられた歌詞が、親への感謝をなかなか伝えられない娘の気持ちを代弁していて、「今だからこそ」言える感謝を気持ちを、実に端的に表現しているんです。

母にも「これはぜひ一度聞いてみてほしい!」と熱弁して、その場で番組そっちのけで一緒に聞いてもらいました。

 

あのね おかあさん 覚えてる?

運動会の おべんとう

早起きして 作ってくれた

あの卵焼き おいしかったな... また食べたいな

 

それでね おかあさん 初めての

学芸会は カエル役

間違えちゃって 泣きそうだった

でもおかあさん 見つけたとたん... ほっとしたんだ

 

今だから 今だから 言える『ありがとう』

いつまでも いつまでも 元気でいてね

わたしがおかあさんになっても ずっと元気でいてね

 

小学生のころ、仕事で忙しい中でも運動会で毎回自分に合う献立を考えてつくってくれたお弁当のこと、中学生のころに初めて合唱コンクールの指揮者を務めたときにビデオカメラを持って応援に来てくれたこと、一年間の浪人生活を陰で支え続け、受験の時に大学の前でカロリーメイトを手渡してくれたこと、

 

そして何よりも、いまこの自分が抑うつ状態と対峙し、頑張りたくても頑張れない、悔しくてもどかしい精神状態にいる中でもずっとそばで味方でいてくれること、そのすべてが一度に胸のど真ん中に去来して、母親の目の前で思わず堰を切ったように号泣してしまいました。

 

母親もその場でさっとティッシュを渡してくれて、特に言葉を発するでもなく、静かにこの曲を聴き続けました。

 

なにかハッキリと感謝の思いを伝えたわけではないけれども、母の前で、この感謝の歌詞を聞きながら号泣したことは、少なからず「私はあなたに救われてきました」という無言のメッセージとして汲み取ってもらえたような気がしています。かなり傲慢な考えですが。。。

 

いつまでも「元気でいてね」と、心の底から思いを強めました。

 

ついさっきも、お昼をいっしょに食べた後、少し業務を進めるために仕事場の最寄りで降りることを伝えながら電車に乗っていましたが、最寄が近づくにつれ軽度の吐き気と動悸が走り、これではとても腰を入れて業務に取り掛かれないと判断し、「ごめん、やっぱりこのまま家に帰るわ...」と伝えると、

 

「うん。気分が落ち込んでるときは、何も考えなくていいんだよ。」

 

と優しく慰められ、その瞬間、親にこんなこと言わすほど心配をかけて、頑張りたくても頑張れずにいる自分がモーレツに悔しくなり、電車の中で涙がツーっと流れてしまいました。

 

肉親が、ただただそばにいて、自分の味方でいてくれる、ただそれだけのことが、ここまで自分の精神的支柱になっているんだということを改めて痛感させてもらいました。

 

 

GWも折り返し。

いつまでも頼り切りでいることはできないので、 母の日のプレゼントを考えながら、あとほんの少し、元気の充電に勤しみたいと思います。 

GW後半はもう少し精神的拒絶が落ち着いていることを祈りながら。